伊豫稲荷神社の御本殿にお祀りする五柱の御祭神を「伊豫稲荷大神」と総称します。伊豫稲荷大神は、「衣食住」の神様、萬民豊楽の神様として崇められ、五穀豊穣、商売繁昌、産業興隆、家内安全、交通安全、学業成就、諸願成就と幅広いご利益があるとされ、多くの人々の篤い信仰を集めてきました。
うかのみたまのおおかみ
ににぎのみこと
いざなみのみこと
くくりひめのみこと
おおみやのめのみこと
伊豫稲荷神社の起源は、平安初期に伊豫国司が山城国稲荷社(伏見稲荷大社)よりご祭神を勧請して祀ったことに始まります。御社の西側からは瀬戸内海を望み、背後には御山があります。更に東南には伏見稲荷大社でいうと中社・上社にあたる社跡が残っています。御山信仰である伏見稲荷大社の稲荷山と似た地形であることから、稲荷の神の鎮まりどころとしてこの地に祀られたと思われます。
伊豫国司の宰領の下にあった「山崎の保」という三十五町歩余りの保田地があり、平安後期には朝廷より伏見稲荷大社の荘園として認可を得て「山崎の荘」と称されました。以来、河野家や大洲・新谷両藩主はじめ、伊豫国の中予南予の民衆より篤い信仰を集めてきました。
また、当社も古くに神仏習合していた時代がありましたが、江戸時代初期に当時の神主が「唯一神道」を主張したことにより、全国の神社より約220年先駆けて「神仏分離」の形に戻ったという歴史があります。丁度その後に伊豫の名工・余土の治部(松山長右衛門)が手掛けて現在の楼門が建立し、昭和45年には愛媛県の指定文化財に登録されました。
江戸時代後期には、朝廷より「正一位」の御神位を賜り「正一位稲荷大明神」と称えられ益々栄え、明治時代に当社は郷社になり、昭和8年に県社に昇格しました。