つきなみさい
1日・15日
稲荷大神(主神 宇迦之御魂大神をはじめとする五柱の皇神たち)、又境内に坐す諸神を祝いて寿ぎ、皇室の弥栄と国の繁栄、地域と氏子、広く崇敬者の隆盛を祈願し、又同時に日供(日毎の御饌)、月供(月毎の御饌)を捧げて頂いた方々のご奉告をいたします。
がんたんさい
正月元旦
新玉の新年を迎えた稲荷大神を称え祝いまつる歳の始めの祭典で、その大御稜威を身に受けようと初詣する大勢の参拝者を幸い御守護を仰ぎます。
せつぶんさい
2月3日
立春を迎える前に、神社境内の内を祓い清める神事です。神社内部で斎行しております。
きねんさい
2月17日
「きねんさい」「としごいのまつり」ともいう。「とし」は稲のこと。農作業の本格的に始まる前に豊穣を願って行われるお祭りです。五穀をはじめ作物の豊な実りと諸産業の繁栄発展を祈り、併せて皇室の安泰と国家・国民・氏子崇敬者・信仰者の安泰、世界の共存共栄をご祈念します。11月の新嘗祭(収穫祭)と一対となる、日本古来の重要なお祭りです。伊勢神宮・宮中をはじめ全国神社で斎行されます。
<<祈年祭の歴史>> 天武天皇の御代(675年)には既に行われていた。大宝元年(701年)の大宝律令制定、全国の神社で行われるようになった。祈年祭は、五穀豊穣のみならず、国家安泰、国土繁栄なども願う国をあげた大規模なお祭りへと発展したが、徐々に衰退し応仁の乱(1467年)以降廃絶した。明治2年に復興を遂げ、昭和20年に終戦後に出された神道指令により、国家祭祀としての祈年祭は廃止となる。しかし、祈年祭はその年の豊穣を願う予祝行事として民間の人々の生活の中に息づき、現在も受け継がれています。
はつうまたいさい
旧暦2月の初午の日
山城国稲荷社の稲荷大神が稲荷山三ヶ峰にご降臨になったとされる日を祝う縁日です。祭典の後、お多福神面お焚き上げ神事、演芸大会、福餅まき(3回)が開催され、境内には初午うどんが出店して賑わいます。
<<稲荷の起源>> 「山城国風土記」逸文の要約
秦公伊侶巨(はたのきみいろこ)が餅の的を射たところ、それが白い鳥となり、その鳥の舞い降りた山の峯に稲が生えた。そこで伊禰奈利(稲生)を社の名前とした。それが、後に「稲荷」となった。
(外国から日本国の山城国に移住した秦氏は、優れた土木開拓技術により水田稲作で地盤を築いていった。秦氏は、秋の新穀で餅をつき、それを的にして射る神事を行っていたようです。)
ふじしんじ
藤の花期
「藤の花」は稲荷の御神花です。伊豫稲荷神社では、300年以上前に山城国稲荷社(伏見稲荷大社)より「藤の株」の移し植えをして、その花期には藤神事を斎行し、又様々な催しをしてお祝いをしてきました。
どよぼしまつり
夏越し祓(同日斎行)
7月20日
昔は、お蔵に収蔵していた宝物を拝殿に並べて、番人が守りながら、虫干しを兼ねてお披露目していました。宝物館が建築されてからは、お祭りの度に宝物館を開館しております。(現在は、館内修復に伴い閉館中)
同日に執り行う「夏越しの祓え」は、人形(ひとがた)に悪いものを移し、それを持って茅の輪くぐりで身を祓い浄め、神前(納め箱の前)に進み拝礼します。納められた人形は神職によりお祓いをした後、お焚き上げします。悪いものを断ち切り、本来の自己の活力を取り戻す神事です。
れいたいさい
10月第二土曜日
年間で最も重要なお祭りで、お米の出来を祝い感謝するお祭りです。
れいたいさい しんよとぎょ
例大祭翌日
早朝5時より遷御祭(せんぎょさい)にて御神体を神輿に遷します。境内にて出御祭、お旅所へ移動して神事の後、三基の神輿が南山地区、北山地区、本庁地区と別れて氏子内を巡行、夕方鳥居元に3基が揃ってから、神社へ威勢よく宮入りをし、氏子崇敬者の見守る中、威勢よく境内を練り盛り上がりを見せます。最後に、還御祭を行い御神体を御本殿に戻します。
しちごさんもうで
11月15日(当日)と11月を中心にご祈願受付
お子様の成長を祝い、健康に感謝し、更なる健やかな成長を祈念する成長への通過儀礼です。
<<七五三>>
三歳男女 「髪置き(かみおき)」髪を伸ばし始める
五歳男子 「袴着(はかまぎ)」初めて袴を着用する
七歳女子 「帯解き(おびとき)」幼児用の紐を解き、大人用の帯を用いる
にいなめさい
11月23日
「にいなめさい」又、「にいなめのみまつり」と称します。祈年祭と一対になったお祭りで、その年に収穫された最初のお米を御神前にお供えして、作物の実りと諸産業の興隆に感謝する、祈年祭と同様に日本古来の大事なお祭りです。伊勢神宮にて10月に「神嘗祭(かんなめさい)」が行われ・11月に宮中をはじめ全国神社で「新嘗祭」が行われます。
<<新嘗祭>> 伊勢神宮で収穫祭の「神嘗祭」が行われ、宮中で11月23日に天皇陛下がその年の新穀を神様にお供えする新嘗祭が行われる。新嘗祭の起源は、皇祖神・天照大御神が地上に降臨する皇孫に、「斎庭の稲穂」を授け、その稲穂が地上の我が国にもたらされ農業が始まった。この恩恵に対して、皇孫の天皇自らが五穀豊穣の感謝を神々に奉告するお祭りであり、国をあげての収穫祭です。